自分を信じてみる、という感覚について


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誰もが人生のゴールがはっきり理解し、突き進んでいるわけではない

2015年の5月と6月に通った7期TLIで、漸くそのこと、誰もが人生のゴールがはっきりわかって真っしぐらに進んでいるわけではないっていうこと、を納得したんだよなぁ、ということを今朝思い出しました。
TLIというのはざっくり説明すると、師匠である、プロブロガーの立花岳志さんと、作曲家で心理カウンセラーの大塚彩子さんが行っている、人生を変える人のための講座です。あたしが通っているときは、2ヶ月の講座でしたが、今は更にブラッシュアップされて4ヶ月の講座になっています。
その講座内で、ゴールがはっきり見えてそこに向かって真っしぐらに進めるなんてそんなことはないんだよ、という話があったんですね。
一つ一つ選択していくことで、ゴールが作られていく。それは例えば、毎日のお昼ご飯を「自分が食べたい!」という感覚を信じて選ぶということから、という話でした。
ミッションも、使命もあっても、どこへ進むかわからない。それは普通で、でも自分がきちんと自分の感覚を信じていくことでゴールが見えてきたり、たどり着いたりできる、ということだったんだけど。
あたしね、多分それ、ビジネス書か何かで知っていた。頭では理解をしていたんだけど、でも、目の前の人たちが、しかも世間的に見ても成功している人たちがやっぱりそう言うのなら、そうなんだね、って本当に納得した瞬間だったのです。

自分のことは、自分だけが答えを知っている

自分が本当はどうしたいのか、というのは、自分だけが知っている答えです。誰かが答えを知っていたらとっくにもらえているのです。
「本当はどうしたいの?」は、自分自身によく問いかけてもらいたい問いかけです。
時々見失う答えに不安になるかもしれません。
でも、見えてこないゴールがあるからこそ、どうしたいのかを問いかけ続けることは必要なはず。
自分は本当は何を望んでいて、どうありたいのか。それはやっぱり自分しか知らないのです。
でも、いつまでもうじうじして、進めない自分にはわからない。っていう気持ちも、わかるのです。

ちょっとしたことの積み重ね、それを続ける

うじうじしたり、何かで不安いっぱいだったり、あたしには何も出来ない、という自分からしたら、本当に何も出来ないし、出来る予感もしない。
でもね。まず思い出してもらいたいことがある。
あなたが自分の力をものすごーく発揮出来たときのこと。
そのときのこと、思い出して。
それっていつだったかな?どんな力を使ったときに発揮出来たのかな?そんな自分って何かに例えるとどんな感じかな?
ノートに書き出してみて。
自分がキラキラして、みんなから凄いねって言われた時のことだったりするかもしれない。
全力で楽しんでいたときかもしれない。


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もし、その自分が今、目の前にいるとする。
今の自分に対してアドバイスをくれるとしたら、何て言ってくれそう?
もしその自分が行動するとしたら、まず何から始めようって言ってくれそう?
そんな力のある自分がいるとしたら、何に気づくように、今、この瞬間の現実を作り出しているかなぁ?どんなことに気づいたり、知ってもらいたいって思っているだろう?
もし、その自分が本来の自分であるとしたら、これから先の未来はどうなっているかな。
自分の中の自分の力を思い出す。そして、それが本当の、本来の自分としてこれからの生き方を設定する。そう生きると決める。
何度となく自分を見失ったとしても、何度も積み重ねていく。それは他の誰でもない自分自身を大切にする、ということでもある、とあたしは思うのです。

まとめ

何かに躓いて、動けない。もう起き上がれないって思っているときも。自分をもう信じられないというときも。
やりたいことをやるのが自分だ、とするのか。そうでない自分で満足していくか、は自分が決めていけること。
自分の感覚を、自分をもっともっと好きになっていけるように、あたしも毎日楽しみながら取り組みたいと思います。

自分の心の声に耳を澄ませる


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自分の中にある感情を俯瞰する難しさ

毎日を過ごしていると、実は色んな感情が心の中で沸き起こったりしているかと思います。
自分の中の何かに触れて、騒ついたり、感情が突き動かされて勝手に反応しちゃっていることってありませんか?
誰かの言葉にイラっとしたり、泣いてしまったり。怒ってしまったり、すごく不安になって、騒いでしまったり。
あたしも、自分の感情に気づかないまま、お決まりのパターンを毎回していることがあります。
前回の記事でも書いたのですが、よく職場で師長さんとの対立(あたし自身がそう感じているだけです)が起こります。わかってもらえていない、と(勝手に決め付けて)1人で落ち込んだりします。
それはどうして起きてしまうのか、というと。
あたしの中の心が、もっと自分大事にして!もっと自分のことわかって!っていうアピールをしているから、という見方もあります。
どういうことかというと、小さい子どものあたしと大人のあたしの心の中のやり取りが現実に映し出されている、という見方です。小さな子どものあたしが、もっとこうしたい!もっとこれするのー!と騒ぎ立てるんだけど、煩いよって大人のあたしは相手にしない。わかってあげようともしない。
それが現実に反映されているわけです。
そして、そういう子どもと大人の一悶着の後ろにあるものは、不安だったり、恐れているものだったりします。自分の心が不安がっているものがここにあるよ、癒して!っていう自分からのメッセージ。
でも、ついつい、自動的に反応して、泣いたり、怒ったり、様々な感情に振り回されてぐったりしてしまう。
自分の感情を俯瞰するって意外に難しいものです。


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感情に蓋をしてしまうこと

当たり前に感情というものは自分の中にあるものだから、ついつい見落としがちです。
あたしの中で、そういう感情すら蓋をしていた時期がありました。今も名残はあると思うのですが、周りの人のことを優先して、自分を後回しにしてしまっていたりする中で色々感じることに気づかない、フリをしてしまいがちでした。自分の心の中で騒ついてもそうじゃない、と押し込んでいて、あたしはそう感じているんだね、なんて思ったことも振り返ることも感じることも出来ずにいました。
つい最近まで、あたしは、自分が色んなことに本当は怒っていた、ということも気づいていなかったのです。
それほどまで、自分自身をないがしろにしてしまっていた。
ただ、あたしってこう思っているんだ。悔しいのか。そっか悲しいんだ。寂しいんだね、と他人になら声をかけられるのに、自分には出来ていなかったのです。

心の声を聞こう

自分の中でひっそりと言っている、嫌いな人への文句。嫌いじゃなくても、うまくいかないとき、頭に浮かぶ言葉。
それって何て言っていますか?
ちょっとノートに書き出してみて。

あたしは職場で「何であたしばっかり一生懸命働いてるんだろう、何であたし1人でやってるんだろう、何で手伝ってくれないの?あたしのこと見てくれてないでしょ」、って怒って、悲しんでいたんです。
簡単にいうと、それ、あたしのハート、心が、理性や頭脳に対してこうしてほしいのに何でやってくんないのっていう文句、です。
文句だったり、もっとこうなったらいいのに、もっとこうしてくれたら、もっとこう言ってくれたら、という言葉が出たら、気づいてみましょう。
誰かにやってもらいたい、と思っていること。それはもしかしたらあなた自身があなたにやってほしいって思っていることなのかもしれません。


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まとめ

感情って雲みたいに流れていく。川の流れのようかもしれない。ころころ変わる天気のよう。
でも、それでいいんです。
怒っていても、悲しんでいても、楽しんでいても、何を感じてもいい。それをだめ、ってしちゃうのは、何かを怖がっていたり、不安がっているのかもしれません。感情を感じてはだめってしているのなら、まずはそんな自分にもOKを出してみましょう。感情を出さないようにしている心の奥にいる震えている自分にも気づいてみましょう。
自分がこう思っていたんだ、悲しんでいるんだ、怖がっている、怒っている、そこに気づけたら、あとは何をしましょうか?
あたしが願うのは、大切にしている、大切にしたい人と同じように、自分自身をそうなんだねってただ寄り添ってあげてほしいなぁ、ということです。

心の旅、自分を取り戻す旅を終えて


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学びをしている過程でのこと

1月から始まった大塚彩子さんの、ビリーフリセットカウンセリング講座、そして8月から始まったビリーフリセットカウンセリングプロコースが昨日終わりました。

5月から11月までは岡部明美さんのLPL(ラビングプレゼンスリーダーシップ)に通い、心の旅をしてきました。

看護師としての仕事をしながらの2つの講座へは取り組みはとても学びが深まった反面、無理をして走り続けてきた部分もあり、一旦受講生は終わり、というところに戸惑う自分自身もいます。
2つの講座に通っている間は科長(世間がいうところの婦長、師長)に頼み、心の学びを深めるために時間を作る目的で夜勤専門とさせてもらっていました。それでも途中、通常勤務にもどって欲しいと言われ、他のスタッフに頼むことも出来たのに誰よりも先に声をかけてきた、そこに反応して、あたしが頑張っていることを科長は認めてくれてない!と大泣きしたこともあります。
パートナーの母親からも看護師を辞め、カウンセラーになる意味がわからない、と言われたこともあります。
そういう現実を俯瞰して見たときに、気づいたのは、自分が心の学びをしてこのままカウンセラーになることを怖がっていて、自分のことをどうでもいいと思って扱ってきたのは、他の誰でもないあたし自身だった、ということです。

それでもカウンセラーになる、と決める

心の世界を知るまで、あたしはずっと親の言うことを聞いて、いい子ちゃんで親の決めたレールに乗ってきた、つもりです。良いお姉ちゃんであることを自分に課してきたし、自分の気持ちなんか放置して、感じることも禁止して、やりたいことなんてわからなかった。
看護師として働いていて、患者さんが元気になっていく過程を見ていることはとても楽しかったし、寄り添う看護師として働けたと思います。
でも、毎日達成感はなかったし、自分は出来ることなど殆どないと思ってきました。
Drからの指示がないと看護師は動けない。指示が今の患者さんには合わないのではないか、と感じたらDrに確認するのも看護師の仕事ですが中々指示がもらえないこともあります。バカにされることもあります。
自分を押し殺し、誰かのために働くことの辛さを長く味わってきた。でもそれが普通で慣れていくものだ、と話す友達もいました。

あたしはとてもそうだ、と賛同できなかった。
そうして、様々な出逢いが重なり、自分を振り返り、色んな過程を経て気づいたこと。

それは人が喜んでくれるのが好き、ということ。笑顔になっていくその過程も。そして何かに気づいて、次に進もうとする力強さも。何にも変えがたい宝物のようなきらめきがそこにはあります。
そこに寄り添うあたしは、自分を押し殺してはいない。

自分の中に決めてきた使命は、誰かのいう通りのレールを歩むのではなく、自分のレールを歩むこと。
そして、出逢っていく人たちに寄り添い、その人たちの中に潜む、あたたかさ、優しさ、力強さ、大切にしているもの、そして愛を、宝物探しのように一緒に探求し、その人の望む歩みたいレールを見つけていくこと。
あたしは、そういうことがしたい。
あたしだからこそ、その人の中にある押し殺された力をその人のペースで取り戻し、これまでの過去から得てきたものを輝かせるお手伝いが出来るのではないか、と考えています。

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これからのこと

・2017年4月から対面セッションが出来るように準備を整えます。
対面セッションの環境が整うまではSkypeでのセッションを行います。
モニターセッションはお仕事の関係で現在お休みさせていただいていますが、2017年から再開予定です。
ご希望があれば、数秘術とオラクルカードを取り入れたセッションも行います。
・看護師生活11年の間に気づいたことを、看護師さんに、看護師としての自分を肯定できる、自分を大切にしながら他者に関わっていけるようになれるプログラムを提供出来るようになれたら、と考えています。看護師さんへのプログラムはグループセッションを予定しています。
モニターセッション、看護師さんへのプログラム、どちらも詳細が決まり次第お知らせいたします。

[ファミリーコンステレーション]あなたの運命が本当に変わる心理学(棚田克彦 著)を読んで


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そこにはただ愛があるだけ

カウンセラーを目指すにあたり、様々なワークショップやセミナーに参加することがあり、ファミリーコンステレーションのようなものを、あたし自身、拝見したり、その場に立たせてもらったことがあります。そしてこの本書を読んでやっぱり思うのは、愛がそこにはある、誰も愛してないなんてそんなことはないんだなっていうこと。
愛があるからこそ、もつれてしまう。そしてそれが幸せになることへの罪悪感だったり、いつものパターンになってしまったりする。そこにどう気づいていくか、ということが、あたしたちにとって大きな学びにもなっていくんじゃないか、とあたしは思うのです。

本当は幸せになるために生を受ける

今回本書を読んで感じたことは、秩序立った地球という世界で1人1人自分の運命を背負い、選択して生きて欲しいという、大きな意志があるんじゃないかな、ということ。
それを特に感じたのは、家族の秩序を守る法則、という項目を読んだときでした。
その法則は4つ。「所属の法則」、「ランクの法則」、「ギブ・アンド・テイクの法則」、「運命の法則」です。

「所属の法則」は、家族(集団)のメンバーは皆、その一員として、家族に所属する権利を等しく無条件に持っている、というもの。
「ランクの法則」は、家族(集団)の全てのメンバーは、自分の所属する家族内で、この世に生を得て家族の一員となった時間の順番に従って順序付けされる、というもの。
「ギブ・アンド・テイクの法則」は家族のメンバーが他者との間で与えたり、受け取ったりした利害は、その本人によってギブ・アンド・テイクの不均衡が回復されない場合、同じ家族に所属する子孫によってバランスを取り戻さなければならない、というもの。
「運命の法則」は、誰もが皆、自分の運命を背負うことができる。そして、自分自身の運命しか背負うことはできない、というもの。
そういった法則を踏まえて、秩序立った世界が作られていきますが、家族という世界で育つ上で、あたしたちは色々な勘違いをして生きています。
それはこの世に生まれてくる上で設定してくる前提なんじゃないかなとあたしは思ったのです。
”小さな子どもの個人的良心は「両親とつながるため、愛されるためには、何をすべきで、何をすべきでないか」というルールを全力で学習します”と本書にあるのですが、
小さな子供、しかも赤ちゃんの頃からそうやって愛されるためにどうするかということを全力で学習するのです。
経験もない小さな子供。様々なものから選択する、という考えすら浮かびません。多角的に検討する、なんてできるわけもない。
赤ちゃんの視点になってみてください。
あたしたち大人と比べたらすごく低い視点。そんな視点から物事をみたら当然偏りだって出てきてしまいます。
子供の頃、お母さんやお父さんはすごく怖かった、とか。いつも喧嘩ばかりしていた、とか。あたしたちが小さな頃に感じていたこと、思っていたことも、後から聞けば実は2人はそう思っていたわけではなかったり、とあたしたちが勝手に勘違いしていたことがとても多いです。
でもそこから学んだこと、得たこと、知ったことは色々あるはずです。
それは見つめ返すと、自分自身の価値観に繋がっていくかもしれません。動機になるのかもしれません。大切なもの、守りたいものを見つけるかも、しれません。
それは家族という世界がなければ得られなかったもの。そして、気づき、学び直すことで自分自身が活用できるものにすることを、大いなる存在は望んでいるのではないか、と感じたのです。
それこそ、あたしたちは、本当は幸せになるために生を受けた、はず。そして、その歩みを進めていくのは、他の誰でもない自分自身なのです。

まとめ

無駄なものは何一つなく、無視していい存在もいない。1人1人が自分の人生に責任を持ち、選択し生きていくこと。
それを無視してしまうからこそ、もつれが発生してしまう。
でも、それを知らせてくれるのが、罪悪感や苦しみ、悲しみ、いつものパターン、違和感、などです。
幸せになれるからこそ、教えてくれている。本当はそうじゃないよ!って知らせてくれています。
個人ではとても解決できないもつれは家族から引き継がれたもつれなのかもしれません。
でも決して家族が、誰かが悪いわけではないこともこの本は教えてくれます。
自身を、そして家族を見つめ直してみたい方に本書はお勧めです。

看護師としてどう働くか


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経験年数を踏んできた看護師の現状

新人の頃は、どんな看護師になりたいの?って聞かれることが多いんじゃないかなって思います。あたし自身、病院内の新人さんの教育研修担当をしていたことがありますが、初回研修のアンケートに「どんな看護師になりたいですか」「どんな経験をしたらそんな看護師になれると思いますか」などの問いかけを入れたことがあります。
新人の頃はフォローをしてくれる色んなスタッフからそんな問いかけをされる印象です。
でも、経験を踏み、色んなことが出来るようになった看護師に、じゃあこれからどう働くの?どうなっていきたいの?と問いかける人は少ないな、と感じています。
自分は何が出来て、何が得意なのか。これからどういう経験をしていきたいのか。そういうことを改めて検討していく時間って取れているのでしょうか。

自己客観視が難しかった

年間目標を立てて、それについて看護師長と面談して評価され、給与に反映される、という病院が多いんじゃないかな、と思うのですが。
あたし自身、年間目標を師長が見るたびに、「すぐに達成出来る目標ばっかり立てるから評価しない」「もっとあなたにあった目標があるでしょう」と言われてきた過去があります。
自分が何が出来て、何を望まれているか。周りはどう見ているのかが全くわからなかったのです。
そもそも周りから褒められても受け取れない自分もいたのです。

看護師の自己肯定力を見つめ直す必要性

思うところがあり、勤めている部署のリーダークラスに勉強会をしようと思って、該当メンバーに課題を出しました。自分自身を見つめ直すための課題。
その中に、以前読んだ本「ザ・ミッション」にあるワーク、「自分にある素晴らしいところを20個書き出す」を取り入れたのですが、出来ないスタッフが多くてびっくりしました。
もう既に勉強会のための資料を作り上げていたのですが、自己肯定力を見つめ直す必要性を感じて、改めて資料を作り直しています。
看護師として働く上で、自分の負の感情を出してはいけないもの、としてしまうこと。人のためが優先され、自分自身を大切にする環境が少ないこと。
そういったものが看護師の自己肯定力や自己客観視を下げてしまっているような印象を持っています。

まとめ

看護師の経験年数が上がるに連れて求められるものは多くなってしまいます。
だからこそ、自分がどう働いていきたいのか。自分はどんな看護をしたいのか。自分はそれをどうやって提供していけるのか。それを考えていく機会を是非持ってもらいたいなと思います。

*****
お知らせ

自分を改めて見つめ直す機会として、
ビリーフリセット入門講座はどうでしょうか。
2016年11月19日にソノラスタジオで行われます。
ビリーフリセットアドバイザーである同期が講師をつとめます。

生きづらさを感じている方、やり方だけではどうも上手くいかないようだ、と思っている方、にお薦めです。
詳細は
こちらからどうぞ!(ビリーフリセット入門講座 2016年11月19日 – こくちーずプロ(告知’sプロ))

ヨシミストの会in川崎に参加してきました

ヨシミストの会in川崎に参加してきました


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11/1に、ライフワークスタイリスト養成講座一期生の林里香さん(ママの笑顔が家族の笑顔をつくる♡ママとプレママの相談室『東京・横浜』)
が主催するヨシミストの会に参加してきました。
今回のヨシミストの会のテーマは今年も残り2ヶ月、ということで、「可愛いままでつくる♡ワークライフスタイルセミナー〜2017年に向けて理想の自分を叶える〜」でした。
当日使った資料はワークライフスタイリストである宮本佳実さんが活動し始めた頃に使われていた資料!何個かワークがあり、里香さんの説明を聞きながらワークに取り組みました。

こうなると決める

あたしの得意なことは妄想なのですが、それを以下に現実に引き寄せてくるか、ということが課題。
理想を書いて次に逆算して現実に落とし込む手法は知っていましたが、いつも何となく漠然としているか、いやいやこんなの無理だろ〜!という状態になっていて諦めることが多かったんですが。この日は場の力があったのか、わくわくしながら書けて、あ、これなら出来るかも⁉︎という感覚になれたのです。
本当のあたしはどうなりたいのかな、どんな人に囲まれていて、どんな環境に身を置いておきたいのかな。
そういう心の声に耳を傾けて、じゃあこれやってみようかな、が出てくるのです。
みんなのシェアを聞きながら、あ、あたしのやってること間違ってないし、今日まできちんとやってきたんだなぁって素直に思えたのです。

軽く投げる

佳実さんはよく著書の中でも軽く投げる、を使われているのですが、それって本当に大切だなって実感しました。
失敗しても失敗じゃなく、自分の大切なデータが見つかったということだ、と里香さんも話してくれました。
この人にはこの方法はあっていたけど、自分にはこの方法は合わなかった、じゃあどうする?もっとこうしてみようかな、というふうに考えていけるマインド。そこから色々挑戦していくうちにオリジナルの、自分らしさが光るものになっていくのです。
それってとてもわくわくする考え方じゃないですか?

まとめ

改めて2017年はどうしていきたいか、じゃあ残りの2ヶ月はどう過ごしていく?というところまで落とし込むことが出来てとても楽しい、素敵な時間を過ごすことが出来ました。
自分の理想、こうしたい、こうなったらいいな、を中々ノートに書き出すことが出来ていなかったので、もっともっと書いて自分を知っていきたいなって思いました。そこから今の自分にどう落とし込んでいくか、取り入れていくか、もわくわくしながら取り組めそうです。
里香さん、素敵な会をありがとうございました!

諦めることは本当に傷つかないか


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諦めるってそんなに簡単なことなのかな?

あたし自身も諦めることをやってきました。これはこうだから、と理由をつけて。でも、それって本当に幸せなのかな、ってことをちょっと考えてみたくなりました。
どこにでもあるお話しなのかもしれません。
自分はもう結婚したから、子供がいるから、お家のローンがあるから、一からやるリスクを考えたら、今更新しいことをやるのは、という理由たち。そういう理由でやりたいことを諦めるって、それって本当に簡単に出来るのかな?

手放すことと諦めることは違う

何か新しいことに挑戦することや、継続していくために手放すものが出てくる。それは勿論あると思います。でも、手放すというのと諦めるというものは根本的に違うものがあるのかな、と思うのです。
それは自分自身の中にある価値観の優先順位。手放すことは、自分にとって価値観の優先順位が低く、自分にとって必要のないものを指す、とあたしは捉えています。
それに対して、諦める、という行為は優先順位が高いまま蔑ろにする、ということを示しているように捉えました。

自分の存在価値をどう受け止めているか

あなたにとって、自分の存在価値、存在意義とはどういうものでしょうか。
あなたが自分は別にこの世界にいてもいなくても変わらないだろうと自分を見ているのか。
それとも、自分はこの世界に何らかの影響を及ぼしていける、とその価値を見出しているか。
それによって、自分をどういう眼差しで見つめ、どういう扱いをするか、が変わってくる。
自分に対しての受け止め方によって、見えてくる世界って相当変わるな、と思います。

諦めることは本当に傷つかないものなのか

傷つきたくないから諦める、という選択肢がもしかしたら、あなたの中にあるのかも、しれません。
それはどうして傷つくものだ、と決まっているのでしょうか。
あなたのその傷つくよ、諦めろよ、とそそのかしてくる、心の中で呟く小さな声はどうされるから、どう言われるから傷つくよ、と言っているのでしょうか。
その声は誰の声のように聞こえますか?
あなたは本当にその言葉通りに傷つく存在なのかな?
諦めることが、あなたを更に傷つけるとしたらどうでしょうか。
諦めるということは、自分はその行為をする価値がない、と自分を落としていることにはなりませんか?

諦めることは自分を制限するのと同じなんじゃないかなとあたしは思うのです。
心の中の本当の自分自身は、それをきちんと受け入れられているのでしょうか。
本当はどうしたいの?を自分に問いかけてあげられているでしょうか?
色んな理由を挙げて、自分を無理やり納得させて、それは本当に幸せなのかな。

自分が自分自身にやっていることは、世界もね、あなたにそうします。そう扱ってきます。そしてあなたも自分自身にやっているように周りをそう扱います。
それが幸せの循環であれば、自分自身も、そして周りも幸せだと思うのです。
諦めの循環は、果たして幸せを周りに与えるものなのか。
手放すのではなく、諦めようとしていることがあるならば、自分自身に問いかけてみてほしいのです。

まとめ

勿論八方ふさがりで二進も三進もいかない、という状況もあるかもしれません。でも、それでも命は進んでいきます。時間も進んでいきます。
色んな理由は勿論ある。
でも、本当にやりたいこと、やってみたいことはそんなに簡単に諦めなくてもいいんだよ。
自分に理由をつけて、制限して、そんなに自分を苦しめないでほしいのです。

「ザ・マネーゲーム」から脱出する法(ロバート・シャインフェルド著、本田健 訳)を読んで

マネーゲームは人間ゲームの一部


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この本はお金の本なのだけれど、その人の生き方がお金にも反映されている、ということが前提に書かれています。
人類には常に3つの疑問が常につきまとっていて、その3つは以下の通りとなっています。
1.自分は何者か?
2.自分は何故ここにいるのか?
3.自分は何のために生きているのか?

本書ではマネーゲームは人間ゲームの一部として捉えており、人間ゲームをするためにあたしたちは生まれて、ここにいる、というのだから、驚きです。
しかも、人間ゲームに参加しているのは、本来の自分自身ではなく、制限された自分なのだというのです。
そして、本当の自分の能力を隠し、(楽しみながら)人間ゲームをするために、能力などを隠す場所はつらく、怖ろしく、危険で致命的なところだから、どんなことをしても避けるべきだ、と自分自身に信じ込ませている、らしいのです。
どんだけ本来の自分はドMなの⁉︎って、ひっそり思っても仕方ないですよね??

人間ゲームのプレー場所って凄いところなんだ!

3次元の現実は巨大なアミューズメントパーク、とされ、無限の存在である本来の自分が夢中になってやりがいを感じ、いつもワクワクするような、非常に洗練されていて、複雑で巧妙に考えられたゲームであり、そのアトラクションを提供しているのが、この3次元の現実なのだそうです。
そもそも、何でそんなことを、と思うのも不思議ではないと思います。
無限の存在である本来の自分は、あたしたちの中から湧き上がる感情を楽しんでいる、らしいのです。

心の動きと繋げて考えてみよう

先ほど、マネーゲームは人間ゲームの一部、というところで、
本当の自分の能力を隠し、(楽しみながら)人間ゲームをするために、能力などを隠す場所はつらく、怖ろしく、危険で致命的なところだから、どんなことをしても避けるべきだ、と自分自身に信じ込ませている、という文章をピックアップしました。
これって、生きにくくしている思い込み(ビリーフ)と同じだなぁってあたしは思ったのです。
つらく、怖ろしく、危険で致命的なところだから、気づいちゃダメー!ってしている、生き延びるためにはそこは避けて通らないといけない(と思い込ませた)生存戦略です。
つまり、ね、ビリーフリセットをしていくことで、
生き延びるために沢山着込んでしまった鎧を脱いでいくことで、
本来の自分に戻れる、ということです。

それしかない、と思い込ませて制限をかけてるのは、他の誰でもなく、自分自身であり、ビリーフを解放していくことは本来の自分に戻れる鍵なのです。

信じ込ませているだけ、本当は、ある!

豊かさは豊かさ、ただそれだけ。
変わることはなく、能力は能力のまま、本当は存在している。
それを実感するために、その力があると自分で理解できるようになるためには、本来の自分(大いなる意志や源)と繋がっていくことがとても重要になります。
源と繋がっていくためには、自分自身に巧妙に信じ込ませて制限している思い込みや、それが出来た時のつらさ、怖れ、痛みなどの棘を抜き、何か不快なことが起きたときに勝手に反応を起こしてしまういつものパターンに気づく、それを繰り返していくことがとても大切です。

本書では、本来の自分自身と繋がる方法として、「プロセス」を使うことを勧めています。「プロセス」の内容は本書に譲るとして、「プロセス」を使う中でポイントとなるのは、
不快感をただじっくり感じ切ること、です。
感じ切ること、
それを感じても、その現実を味わっても現実は変わらないことをあたしたちは身をもって体験することが大切なのです。

まとめ

本書の最終章にある、5つの段階の招待状もまた、とても素晴らしいなぁと思う内容でした。
あたしなりの言葉でそれを纏めてみようと思います。
ひとっ飛びでは人間ゲームをマスターするのは難しいでしょう。本書の勧める「プロセス」を使うことも、そしてビリーフリセットも、感じ切ることも、時には忘れてしまうこともあるでしょう。それでも自分自身を信頼し、本来の自分自身の作り出す創造物に感謝をし、成長していきたい。
そう感じさせてくれる本です。
自分自身に落とし込むのが大変でしたが、自分自身の可能性を感じさせてくれます。

自分を信じるレッスン マインドフルネス・セラピー入門を再読して


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感情に正しさを求めていませんか?

あたし自身、沢山の感情を押し殺してきた経験があります。色んなものをないことにしてきたので、自分が何を感じていて、何を考えているかわからない、そもそも何も感じていなくて、考えてもいないのでは、と思っていたこともあります。
その感覚の奥深くに潜んでいるもの。
それをこの本は問いかけます。

いい感情をもつべきところで、そうなれないとき、私は「感じられない」と思っていることはないでしょうか。

褒めてもらったのに、優しさをもらっているはずなのに、嬉しくない。ありがたさなんて微塵もなくて、感謝なんか出来なかったり。みんなが楽しんでいるのに、楽しくなかったり。
でも、そうであってほしくないから、そういう自分はダメだから、感じないことにしてしまう。
言われてみれば、あたしにはあるなぁ、と思い当たるところがあります。
例えば数日前もそうでした。みんなが良くやったよね、頑張ったよね、良かったね、と話していてもあたしはそうは感じてなかった。そんな自分をあたしが変なのかなぁと思っていて、何だかすごく心の中がモヤモヤとしていたのです。
みんながこう思っている、と話しているけれど、あたしはどうも違っている…
そう感じているとき、あたしは自分の思いが間違っているのかもしれない、いや、同じように感じている人がいるのではないか、と周りを見回しながら感情の正解探しをしていたのです。
あなたは感情に正しさを求めていませんか?
こういう状況なら、こう感じるべき。それは絶対に、いつでも当てはまることで、本当のことだと言えますか?

感情をブロックする、ということを学んだのはいつ?

いつから感情に対して正しさを求めるようになったのでしょうか。
小さい頃は感情を表現出来る子だったのに、気づいたらこうなっていた?
一体いつからそうなっちゃったんでしょう?
あたしたちは人との関わりの中でいろんなことを学んでいきます。
こうすると褒めてもらえるから、こうする。ああすると怒られるからもうやらない。
そういう生きていく術を人との関係の中で学ぶのです。
赤ちゃんや幼い子どもだった頃からずっと、です。寧ろ、そんな幼い頃の思いや感情がベースになっている、といっても過言ではないでしょう。
その頃、その世界の中心にいた人たちからの視線、言葉、態度、そういったものからあたしたちは色んなことを学んできました。それが大人になった今も活かされているのです。
例えば、その学びの中には、こうしてもらったらこう感じないといけない、というものが、あって。そういった学びが行為と感情を結びつけているかもしれません。
もしかしたら、人と違った感じ方をしたら、あなたは感情が欠けている、と親から評価されたのかもしれません。
感情の正しさを求めてしまうのは、そう感じなければ、生きていけない、愛されない、見捨てられてしまう、と学んだからなのかもしれません。
だからこそ、そうならないように、感情を感じないようにしたり、ブロックしたりしてしまうのです。

ただ感じること、そうである自分に気づく、ということ

色んな感情を押し殺してしまうと、自分に対する信頼感も、自信も、なくなってしまいます。
いつも自分を信じられない。
自分だけが間違っているような気がする。何かを言われると腹が立ってしまうかもしれません。悲しくて泣いてしまうのかもしれない。どうせ自分なんかダメなんだとヤケになることもあるかもしれません。
でもそれにはワケがあるのです。
この本では、そういう自分に気づいて、認めていくことの大切さが書かれています。
わかってほしかったんだね、認めてほしかったんだね。
そうやって自分に気づいて、自分の体の反応にも気づいていくことを出発点として勧めています。

まとめ

4月に読んでいたこの本。久しぶりに再読たのですが、自分自身の感情に対して、ジャッジを相当していたことに気付きました。
感情に良いも悪いもないのに、ただ感じてしまうだけなのに、あたしたちはどうしてもそれに対して色んな理由をつけてしまいがちです。
ただ感じる、ということだけなのに、こんなにも押し殺しているからこそ、根本的なところで自分自身を信じられないのかもしれません。
自分自身を見つめ直したい方にお勧めです。

お姉ちゃんなんだから我慢しなさいって言われてきたから、言われてきたけれど


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姉妹、兄弟あるある

両親の愛情が姉妹のどちらかに分散されてしまうために起こりうる、愛情獲得競争。
それにあたしは負けてきたのだとずっとずっと思ってきました。
両親から愛されてない、と思い込んできたし、でもそれ以上に、お姉ちゃん、という言葉にいつも引っかかっていました。
あたしはきちんとしたお姉ちゃんじゃない、という罪悪感。下の兄弟から注がれる純粋にお姉ちゃんと慕う気持ちをどうしても受け取れないまま。
その背景には、お姉ちゃんだから我慢しなさいといつも言われていたことがあげられます。
それなのに、下の兄弟はそんなことなかった、いつも我儘言っても愛されているように、あたしには見えていて。こんな辛い想いをするなんて、あたしは報われてない!ってずっと思っていたのです。

お姉ちゃんは我慢しないといけないものだ、というビリーフ

いつも何かにつけて言われるこの台詞。「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい!」
「お姉ちゃんなんだから、それくらいやってよ!」

お姉ちゃんは、何でも出来ないといけないのか。我慢する必要があるのか。

両親のその言葉を受けて我慢したことで、
自分をこれ以上ないほど我慢させてきたし、
甘えられなかったし(自分の中では)、
我儘も言えなかった(と思っている)し、
新しいチャレンジや冒険はできなかった、
とあたしは思っていました。
でもね?
よくよく考えると、同じ境遇のお姉ちゃんであっても、自由奔放で、我儘に、甘え上手に生きてる人もいる。それを選択してきた人もいる。もしかすると、下の兄弟が我慢を強いられてきた、ということも考えられるのです。
お姉ちゃんばかり、我慢をする必要はない、んですよね。

こんなあたしだからこそ、得られた「もの」探しをしょう!

あたしはずっと、両親がそれ以上文句を言ってほしくなくて、その場が安定していてほしくて、自分がそれ以上責められたくなくて自分から我慢を選んだのでした。
それを選んだからこそ、あたしは我慢するという社会性を両親から学んだし、遠慮することも知ったし、下の兄弟を見守ってきたからこそ、後輩の指導も長い目で考えていける、というところを得られた。
そして、あたしの根源的な、根底的な性格はこういったところから作られていて、あたしという人格は「お姉ちゃん」だからこそ作られたものでもあるのだな、と思ったのです。
そこには多分、「お姉ちゃん」として、受け取ってきた両親の愛がある、のでしょう。
下の兄弟だったら受け取れない愛がそこにはあるのです。
勿論、下の兄弟だからこそ受け取れる愛もある。
どんな形であれ、愛されて、その存在を認められて育ててもらったのです。

家族内の役割の所為で自分がしんどい、と思っている人へ

ひとつの提案として。
その役割を受け入れるということをどうして選択したのか、もう一度振り返ってみましょう。そうせざるを得なかった、ということも勿論あると思います。その所為で制限されることもあった、沢山あったかもしれません。
だけど、それを背負ったからこそ得られたことも勿論あると思うのです。
家族の笑顔が少し見られるようになった、とか。
そういう、些細なこと。
些細だけれど凄く大切なことです。
それがあなたにとって凄く守りたかったものだ、ということなのですから。
だから、ひっそり気づかないうちに密やかに注がれた愛の形を探してみませんか?
それをどう受け取るのか、そして、何を選択していくのかはあなた次第なのだと思うのです。

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