自分を制限する、ということのメリットとデメリットについて

事の発端

先日(2016年1月9日)参加してきたツナゲルアカデミー内で、とても大きな気づきを得たのでシェアしたいと思います。
ツナゲルアカデミーについてはこちらを参照してください。

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そのツナゲルアカデミーに参加する前の、年末年始にかけて、あたしブログ書けないなぁって思っていたんです。文字を書いて表現することはすごく好きなんですけど、ブログってなると書けない。どうしてだろう、どうしてだろう、お友達はどうしてそんなサクサクって書けるんだろう、ってずっと悩んでいました。1月3日の仕事前に、不意に落ちてきた言葉は、自分のことを表現したりしないのは自己否定の一つだなっていう言葉。小さなメモ帳にメモしていました。

分不相応という自己制限

そうして参加したツナゲルアカデミーで、立花さんが公演中に、自己表現のブロックには強い自己否定がある、という話をしてくれて、更に「分不相応」という言葉も出てきて。分不相応っていうのは、自分に対して自分で制限をかけてしまっている、ということを指す言葉です。
普段そんな言葉言ってないよーっていう人も、あたしそれ無理だから、あ、それ出来ないから、っていう言葉、使っていません?
あたしはすごく使っているんですね。
その言葉に引き続き、彩さんからは、自分が1番自分をジャッジして、批判して、否定していけない、ダメだ!って言っている、というお話も聞いて。
自己否定ってどこまでも出来てしまうなぁって思ったのです。

自己否定のメリット

どこまでも出来てしまう自己否定には、メリットがあります。メリットがなかったらそもそもそれをやったりしないでしょう?
自己否定して、自分を制限していれば、いつまでも同じ場所にいられます。もしかしたら守ってもらえるかもしれません。怖がって、無理なんです、って言ったら誰かが代わりにやってくれるかもしれません。小さい頃、親から守ってもらえたときのように。
そして居心地の良い場所から出なくても十分に生きていけます。変わらないままいられるから、楽です。自己制限をしていれば色々気づかなくても済むのです。何もやらなくて済むかもしれません(本当はやる気になれないだけ、事の大切さを自分のものとして考えられないだけ、なのに)。

自己否定のデメリット

人は成長して生きていきたい生き物です。生きていく中で色んな周りの変化に対応して生きていかなければいけません。変わらないままなんて、本当は無理なのです。でも、自己否定をして、自分に制限をかけてしまうと、自分で作った枠組みから外に出ることができなくなってしまうのです。そしてそれが余りにも自然なことすぎて、自分はこんなものなんだなっていうことを当たり前のこととして受け取ってしまう。
自分の枠から見ているからやったことのないことに対してとても恐怖を感じるし、自分に相応しくないとも思うかもしれません。
常にアクセルを踏んでいるのにブレーキをかけて進まなくさせてしまうのが自己否定による自己制限です。
自己制限をすることで本当にやりたいこと、やっておいたほうがいいことも見えなくなってしまうことが、1番怖いかもしれません。
セミナーでの大切な話や、人からのアドバイスを自分に落とし込んで振り返って改善したり実行することもできなくなります。
このね、自己制限、自己否定のデメリットが今更なんだけど、あたしにとって大きな気づきだったんです。自分事として落とし込めないことはすごーく勿体無いことなんだって。だって自分がこう生きていきたいっていうゴールに向かって生きているのに、そのマイルストーンに気付けなかったりする、ということなんですよ。超勿体無い!

自己制限という呪いを解いて前に進もう

あたし自身の自己制限との戦いはもうずっと前から始まっていますが、でも、何だか漸くスタートラインに立ったような気さえしています。
自己制限という呪いを解くためにあたしがしていることは、自己探求という旅に出る、と決めることです。
簡単に言っちゃうと、自分にとって怖いことをしていく、タブーだとしていることをやってみる、ということ。そして、同時進行で怖いことってどうして怖いって思ってしまっているんだろう、って自分に問いかけていくこと。
人生はチャレンジをするわくわくで満ちているのです。
それをしないまま生きて、常にブレーキをかけて、本当の才能や強みを活かすこともできないままじゃ、自分が可哀想です。
自己探求をして、自己制限という呪いを解いていきませんか?

追伸

ブログに関して言えば、自由に書いてはいけないんじゃないかっていう思い込みがブロックになっているのかな、という気づきがありました。あたし、周りのお友達みたいに、短くわかりやすく書けないんです。読んでもらえるブログは短くわかりやすいものだっていうことを見かけたことがあって。確かにこんなに長く文章が書いてあったら忙しいビジネスパーソンにはぽいってされますよね。でも、あたしはお話をするように、語りかけるように書きたいし、出来たらあなたといっぱいお話したいんです。そういうわけで、あたしをわかってくれる人が読んでくれたらそれでいいか、と開き直ってしまおうと思います。

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