あなたは本当に責められるべき人なのか?そして変わるべき人なのか?

あなたは本当に責められるべき人なの?

この世界には、色んな人がいてそれぞれの考えを、思いを持っていて、時々ぶつかることがあります。
Twitterをぼんやり見ていると、

  • 責められてしんどい
  • 認めてくれなくて辛い
  • もっとこっちのこと考えていてくれていたらこんなこと言わないよね⁉︎
  • みたいな言葉を見かけることもあります。
    こんなダメな自分は消えてしまったほうがいい、なんていう切ない呟きを見かけることもあって。
    それは何とも辛い状況なのだろうなぁ、と思うのです。
    そして、過去のあたしも、このままあたしが消えてしまってもだれも困らないだろうなぁ、なんて考えてしくしく泣いていたときがありました。

    誰かの言う、その言葉やその状況を客観的に見よう

    誰かの言う、その言葉。その状況。それは本当に自分が受け止めるものなのか、一度距離を置いてみましょう。
    紙に書いてみるといいかもしれません。
    もしくは、小道具を使ってみる。小さなぬいぐるみを自分としておいて、その周りに責め立てる人たちを置いてみるといいかもしれません。
    その人たちはどんな状況のときに、どのような言葉で責めてきますか?
    その言葉、以前から、小さな頃から、誰かに言われていたりしませんか?
    どうでしょう、ちょっとだけ、勇気を振り絞って過去を振り返ってみませんか?

    その言葉、その状況をそのまま鵜呑みしないために

    もし、自分の中の大切な人が同じ状況で、同じ言葉をかけられていたらどうでしょう?
    もし、自分の子供が同じ言葉をかけられていたら?
    あなただったら、どんな言葉をかけてあげますか?
    それも紙に書き出してみましょう。

    本当に自分を非難しているのは?

    あたしたちって本当に無自覚なんだけど、
    出来ないこんな自分、を当たり前にそうだ、と信じています。
    でも、でもね?
    あなたってすごくすごく頑張っているし、努力もしてる。
    責められる状況であってもまだまだ頑張る。
    それってどうでしょう?
    客観的に見てどうかな?
    それってすごいことじゃないのかな?
    まだまだ!頑張れ頑張れ!も良いけれど、自分をゴミ箱に丸めてぽいってしなきゃいけない、ってなっている自分って、どれだけ自分のこと責めているんだろうね?
    誰よりも自分を責めているのはもしかしたらあたし、かもしれません。
    本当に自分のこと、わかってあげられるのは他の誰でもないあなたなんです、やっぱり。
    他の人には優しい言葉をかけられるなら、自分自身にも優しい言葉はかけられる、はず。


    photo credit: L’amore puro vive nelle creature pure via photopin (license)

    自分が生きて良いという証拠探しをしよう

    責められることが当たり前、な日々を終わらせるためにも、自分ってこういうことすごく頑張ってるなぁって認めてみる、ってるすごく大切なことです。
    頑張りすぎて自分のやりたいこと、欲しいもの、わからなくなっているかもしれない。
    それにまずは手を伸ばしてみませんか?
    そして、気づいてほしいのは、あなたの存在に救われてるよって人はいるはずだってこと。あなたの言葉に救われたよって人もいるはず。
    誰かの言葉に励まされてることもある。
    ごく当たり前に潜む、愛を探すのも時には必要です。
    失敗に心を痛めているかもしれない。責められて、やっぱりあたしってそうだよね…って下を向いているかもしれない。
    でもその失敗から得たものもあるはず。より深い愛情を得たかもしれない。
    当たり前に潜む、些細な優しさに手を伸ばして、自分の生きて良いという証拠探しをしませんか?

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