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姉妹、兄弟あるある
両親の愛情が姉妹のどちらかに分散されてしまうために起こりうる、愛情獲得競争。
それにあたしは負けてきたのだとずっとずっと思ってきました。
両親から愛されてない、と思い込んできたし、でもそれ以上に、お姉ちゃん、という言葉にいつも引っかかっていました。
あたしはきちんとしたお姉ちゃんじゃない、という罪悪感。下の兄弟から注がれる純粋にお姉ちゃんと慕う気持ちをどうしても受け取れないまま。
その背景には、お姉ちゃんだから我慢しなさいといつも言われていたことがあげられます。
それなのに、下の兄弟はそんなことなかった、いつも我儘言っても愛されているように、あたしには見えていて。こんな辛い想いをするなんて、あたしは報われてない!ってずっと思っていたのです。
お姉ちゃんは我慢しないといけないものだ、というビリーフ
いつも何かにつけて言われるこの台詞。「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい!」
「お姉ちゃんなんだから、それくらいやってよ!」
お姉ちゃんは、何でも出来ないといけないのか。我慢する必要があるのか。
両親のその言葉を受けて我慢したことで、
自分をこれ以上ないほど我慢させてきたし、
甘えられなかったし(自分の中では)、
我儘も言えなかった(と思っている)し、
新しいチャレンジや冒険はできなかった、
とあたしは思っていました。
でもね?
よくよく考えると、同じ境遇のお姉ちゃんであっても、自由奔放で、我儘に、甘え上手に生きてる人もいる。それを選択してきた人もいる。もしかすると、下の兄弟が我慢を強いられてきた、ということも考えられるのです。
お姉ちゃんばかり、我慢をする必要はない、んですよね。
こんなあたしだからこそ、得られた「もの」探しをしょう!
あたしはずっと、両親がそれ以上文句を言ってほしくなくて、その場が安定していてほしくて、自分がそれ以上責められたくなくて自分から我慢を選んだのでした。
それを選んだからこそ、あたしは我慢するという社会性を両親から学んだし、遠慮することも知ったし、下の兄弟を見守ってきたからこそ、後輩の指導も長い目で考えていける、というところを得られた。
そして、あたしの根源的な、根底的な性格はこういったところから作られていて、あたしという人格は「お姉ちゃん」だからこそ作られたものでもあるのだな、と思ったのです。
そこには多分、「お姉ちゃん」として、受け取ってきた両親の愛がある、のでしょう。
下の兄弟だったら受け取れない愛がそこにはあるのです。
勿論、下の兄弟だからこそ受け取れる愛もある。
どんな形であれ、愛されて、その存在を認められて育ててもらったのです。
家族内の役割の所為で自分がしんどい、と思っている人へ
ひとつの提案として。
その役割を受け入れるということをどうして選択したのか、もう一度振り返ってみましょう。そうせざるを得なかった、ということも勿論あると思います。その所為で制限されることもあった、沢山あったかもしれません。
だけど、それを背負ったからこそ得られたことも勿論あると思うのです。
家族の笑顔が少し見られるようになった、とか。
そういう、些細なこと。
些細だけれど凄く大切なことです。
それがあなたにとって凄く守りたかったものだ、ということなのですから。
だから、ひっそり気づかないうちに密やかに注がれた愛の形を探してみませんか?
それをどう受け取るのか、そして、何を選択していくのかはあなた次第なのだと思うのです。
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