photo credit: December 3, 2015 via photopin (license)
感情に正しさを求めていませんか?
あたし自身、沢山の感情を押し殺してきた経験があります。色んなものをないことにしてきたので、自分が何を感じていて、何を考えているかわからない、そもそも何も感じていなくて、考えてもいないのでは、と思っていたこともあります。
その感覚の奥深くに潜んでいるもの。
それをこの本は問いかけます。
いい感情をもつべきところで、そうなれないとき、私は「感じられない」と思っていることはないでしょうか。
褒めてもらったのに、優しさをもらっているはずなのに、嬉しくない。ありがたさなんて微塵もなくて、感謝なんか出来なかったり。みんなが楽しんでいるのに、楽しくなかったり。
でも、そうであってほしくないから、そういう自分はダメだから、感じないことにしてしまう。
言われてみれば、あたしにはあるなぁ、と思い当たるところがあります。
例えば数日前もそうでした。みんなが良くやったよね、頑張ったよね、良かったね、と話していてもあたしはそうは感じてなかった。そんな自分をあたしが変なのかなぁと思っていて、何だかすごく心の中がモヤモヤとしていたのです。
みんながこう思っている、と話しているけれど、あたしはどうも違っている…
そう感じているとき、あたしは自分の思いが間違っているのかもしれない、いや、同じように感じている人がいるのではないか、と周りを見回しながら感情の正解探しをしていたのです。
あなたは感情に正しさを求めていませんか?
こういう状況なら、こう感じるべき。それは絶対に、いつでも当てはまることで、本当のことだと言えますか?
感情をブロックする、ということを学んだのはいつ?
いつから感情に対して正しさを求めるようになったのでしょうか。
小さい頃は感情を表現出来る子だったのに、気づいたらこうなっていた?
一体いつからそうなっちゃったんでしょう?
あたしたちは人との関わりの中でいろんなことを学んでいきます。
こうすると褒めてもらえるから、こうする。ああすると怒られるからもうやらない。
そういう生きていく術を人との関係の中で学ぶのです。
赤ちゃんや幼い子どもだった頃からずっと、です。寧ろ、そんな幼い頃の思いや感情がベースになっている、といっても過言ではないでしょう。
その頃、その世界の中心にいた人たちからの視線、言葉、態度、そういったものからあたしたちは色んなことを学んできました。それが大人になった今も活かされているのです。
例えば、その学びの中には、こうしてもらったらこう感じないといけない、というものが、あって。そういった学びが行為と感情を結びつけているかもしれません。
もしかしたら、人と違った感じ方をしたら、あなたは感情が欠けている、と親から評価されたのかもしれません。
感情の正しさを求めてしまうのは、そう感じなければ、生きていけない、愛されない、見捨てられてしまう、と学んだからなのかもしれません。
だからこそ、そうならないように、感情を感じないようにしたり、ブロックしたりしてしまうのです。
ただ感じること、そうである自分に気づく、ということ
色んな感情を押し殺してしまうと、自分に対する信頼感も、自信も、なくなってしまいます。
いつも自分を信じられない。
自分だけが間違っているような気がする。何かを言われると腹が立ってしまうかもしれません。悲しくて泣いてしまうのかもしれない。どうせ自分なんかダメなんだとヤケになることもあるかもしれません。
でもそれにはワケがあるのです。
この本では、そういう自分に気づいて、認めていくことの大切さが書かれています。
わかってほしかったんだね、認めてほしかったんだね。
そうやって自分に気づいて、自分の体の反応にも気づいていくことを出発点として勧めています。
まとめ
4月に読んでいたこの本。久しぶりに再読たのですが、自分自身の感情に対して、ジャッジを相当していたことに気付きました。
感情に良いも悪いもないのに、ただ感じてしまうだけなのに、あたしたちはどうしてもそれに対して色んな理由をつけてしまいがちです。
ただ感じる、ということだけなのに、こんなにも押し殺しているからこそ、根本的なところで自分自身を信じられないのかもしれません。
自分自身を見つめ直したい方にお勧めです。