諦めることは本当に傷つかないか


photo credit: 藍川芥 aikawake See the Hope via photopin (license)

諦めるってそんなに簡単なことなのかな?

あたし自身も諦めることをやってきました。これはこうだから、と理由をつけて。でも、それって本当に幸せなのかな、ってことをちょっと考えてみたくなりました。
どこにでもあるお話しなのかもしれません。
自分はもう結婚したから、子供がいるから、お家のローンがあるから、一からやるリスクを考えたら、今更新しいことをやるのは、という理由たち。そういう理由でやりたいことを諦めるって、それって本当に簡単に出来るのかな?

手放すことと諦めることは違う

何か新しいことに挑戦することや、継続していくために手放すものが出てくる。それは勿論あると思います。でも、手放すというのと諦めるというものは根本的に違うものがあるのかな、と思うのです。
それは自分自身の中にある価値観の優先順位。手放すことは、自分にとって価値観の優先順位が低く、自分にとって必要のないものを指す、とあたしは捉えています。
それに対して、諦める、という行為は優先順位が高いまま蔑ろにする、ということを示しているように捉えました。

自分の存在価値をどう受け止めているか

あなたにとって、自分の存在価値、存在意義とはどういうものでしょうか。
あなたが自分は別にこの世界にいてもいなくても変わらないだろうと自分を見ているのか。
それとも、自分はこの世界に何らかの影響を及ぼしていける、とその価値を見出しているか。
それによって、自分をどういう眼差しで見つめ、どういう扱いをするか、が変わってくる。
自分に対しての受け止め方によって、見えてくる世界って相当変わるな、と思います。

諦めることは本当に傷つかないものなのか

傷つきたくないから諦める、という選択肢がもしかしたら、あなたの中にあるのかも、しれません。
それはどうして傷つくものだ、と決まっているのでしょうか。
あなたのその傷つくよ、諦めろよ、とそそのかしてくる、心の中で呟く小さな声はどうされるから、どう言われるから傷つくよ、と言っているのでしょうか。
その声は誰の声のように聞こえますか?
あなたは本当にその言葉通りに傷つく存在なのかな?
諦めることが、あなたを更に傷つけるとしたらどうでしょうか。
諦めるということは、自分はその行為をする価値がない、と自分を落としていることにはなりませんか?

諦めることは自分を制限するのと同じなんじゃないかなとあたしは思うのです。
心の中の本当の自分自身は、それをきちんと受け入れられているのでしょうか。
本当はどうしたいの?を自分に問いかけてあげられているでしょうか?
色んな理由を挙げて、自分を無理やり納得させて、それは本当に幸せなのかな。

自分が自分自身にやっていることは、世界もね、あなたにそうします。そう扱ってきます。そしてあなたも自分自身にやっているように周りをそう扱います。
それが幸せの循環であれば、自分自身も、そして周りも幸せだと思うのです。
諦めの循環は、果たして幸せを周りに与えるものなのか。
手放すのではなく、諦めようとしていることがあるならば、自分自身に問いかけてみてほしいのです。

まとめ

勿論八方ふさがりで二進も三進もいかない、という状況もあるかもしれません。でも、それでも命は進んでいきます。時間も進んでいきます。
色んな理由は勿論ある。
でも、本当にやりたいこと、やってみたいことはそんなに簡単に諦めなくてもいいんだよ。
自分に理由をつけて、制限して、そんなに自分を苦しめないでほしいのです。

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