他者に委ねてしまうのか、自分で決めて掴みに行くのか
病棟勤務をしていたときに、後輩に言われたことがある。
「自分の役割が決まっていないからどうしようかと思っていて。役割があったらもっとやれることってあると思うんですよね」
そのスタッフの言葉に色んな返事をしたような記憶があるけれど、きっとそのスタッフが求めていた答えを返せなかったのだろうと思います。
他者に決めてもらえば楽。
そういった風潮は組織内や日常にそこはかとなく潜んでいるものなのだろう。
人から求められたことに応えていけば、評価があがる。そして、役立っている、という実感に繋がってやりがいにもなってくる。
でもね、それは本当?
幸せは他人が決めるのか、自分で決めるのか
人から求められたことに応えることは、他人に委ねる(他人軸)ということ。
人から求められたことに応えて、そこからもらった評価も他人から見た評価(他人軸)ということ。
そこにあなたの本当に欲しいものはあるのかどうか。
考えてほしいなって思うのです。
人から求められたことに応えたことで、感じられるものって何なのか。
自分はどんな感情が本当は欲しいのか。
人から評価されたとき、自分はどんな人だと評価されたいのか。
自分はどういう人間でいたいのか、が見えたとき。
あなたは人から求めることに応えるだけの人ですか?
自分で決める、という選択を手に入れるために
自分で決める、という言葉だけ耳にしていれば、簡単そうに聞こえるけれど、実際のところ、そう見せかけて他人に委ねていることは多いのではないかと思っています。
自分で決めるってどういうことなのでしょうか。
自分はどういう人間でいたいのか。ということに集約されるのではないか、とあたしは思っていて。
それは看護師で言えば、どんな看護師でいたいか、ということなんじゃないかなって思うのです。
どんな看護師でいたいのか、ということを考えるとき、どんな看護が提供出来て、患者さんにはどんな関わりをして、スタッフにはどのような関わり方、声かけをしていて、組織でどう貢献していきたいのか、というところを考える必要があります。
そのためにどんな知識を持っていたらいいのか、どんなことを学び、周りとそう関わっていくためにどんな話し方をするのか、を考え、実際に行動していく必要があるのです。
自分が定まっていけば、周りがどういう関わり方をしているか、という部分にも目がいきます。
全体を見れるようにもなるでしょう。
自ずと役割や責任が生まれ、自己管理をする必要性が見つかり、自己評価も変わっていきます。
自分で決める、という選択はいくつも転がっています。
自分がそれを見つけ、どうするか選んでいく、それだけ。
でも、まずは自分がどういう人間でありたいのか、生きていきたいのか、を決めていくことがとっても大切になるんじゃないのかなってあたしは思うのです。
他人じゃなくて。他人はそうかもしれないけれど。
じゃあ、自分はどうしたいのか。
結局そこなんだろうなって思うのです。
自信はあってもなくてもどちらでもいい
自信があるのが良いことなのか、自信がないことが悪いことなのか。そういうふうに見ている自分に気づけたらいいのかもしれません。
自信がなくても、やって良いんです。
自信がなくても、決めて大丈夫です。
選んで進んでいくのはあなたです。