自分の持っている当たり前の思い
「自分は平凡でどこにでもいる人間」という言葉に、うんそうそう、と頷いてくださった方がいるのなら、この記事は少しお役に立てるかもしれません。
これって思い込みなんです。
でも、あたしは結構長い間、これを握りしめて生きてきました。
多分ね、小学生の頃にはこの思い込み、あたしの中に、ありました。
そう、あたしは平凡でどこにでもいる人間だって思って生きてきたのです。
だって、そうだから。
平凡でどこにでもいる人間だからあたしは人から愛されないし、見向きもされないし、放って置かれる。
っていう、深い悲しみがこの中に含まれていること、わかりますか?
この思い込みは、自分をとっても虐げていて、貶めているものです。
平凡でどこにでもいる人間とは?
そもそも平凡でどこにでもいる人間とはどういう人のことなのでしょうか。
価値がなくて、魅力がなくて、強みがなくて。得意なこともなく、人よりも秀でるものがない、人のこと??
そんな人、あなたの周りにいるんでしょうか。
価値がない人。魅力がないっていう人。
強みがない?
本当?
得意なこともこれといってないな、って人、あなたの周りにいますか?
周りの人にはいないけど、自分には価値がないし、魅力もないし、強みも……って、ちょっと待って!
多分、周りの人にあなたの魅力や強みを聞いたら、きっとねいくつもあなたの魅力を教えてくれます。
でも、あなたはそうは思えない。
周りから慰められたとしても、ずっと繰り返し繰り返し、自分は平凡でどこにでもいる人間だって思って悲しんでいる。
だって、あなたのことを認めてくれたり、愛してほしいって思ってきた人はそんなこと、きっと言ってくれないって心の奥深くで思っているから。
誰と比べちゃってる?誰にそう言われている?誰に気にしてほしかった?
まず、誰かと比べて自分は平凡だ、何もできない、魅力がない、価値がないと思っている、ということに気付きましょう。
誰と比べられたんでしょうか。
あたしの場合は、親と妹でした。
親の言う通りにできないダメなあたしと、更に、妹よりできないダメなあたし。
この思い込みを持って、平凡でどこにでもいる人間であれば、目立たずに済んだし、親を困らせずに済んだし、色んなことから逃げていられたのです。
親を責めずにいられたのも大きかったかもしれません。
でもね、ずっとずっと苦しかった。
もし、同じように平凡でどこにでもいる人間だって思い込んでいる人がいるのならば、同じような苦しみを抱えているでしょう。
そんな自分でも本当は救われたがっている
小学生の頃、好んで読んでいた小説は、平凡な少女が救ってくれるお友達と愛してくれる男性がいて幸せになる、という展開でした。
今思い返すと、あたしの中のあたしはずっと救われたがっていたんだなって思います。
いつも救ってくれるお友達はどんなふうに救ってくれるのか。どんな声をかけてくれるのか。
愛してくれる男性はどんなふうに自分を好きでいてくれて、どんなふうに思ってくれるのか。
それを全部自分にしてあげることが、あなたの救われるポイントです。
全部自分が自分にしてあげること。
人から、じゃなくて。自分から自分に、です。
きっかけは親だったり、妹、または他の兄弟、姉妹かもしれません。
でもね、そうやって思い込んで自分を責めて、自分を貶めてきたのは、他の誰でもない、あなたなんです。
親に愛してもらいたかった。認めてほしかった。だって本当は大好きだったんだもんね。
あなたは平凡でどこにでもいる人間じゃなくて。ただ、愛されたくて、迷惑かけたくなくて、悲しかったんです。
そんなあなたを是非、思い存分許して、認めてあげてくださいね。
そうして、自分を認めたあなたは、果たして平凡で、どこにでもいる人間でしょうか?