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看護師って何だろう?
看護師になって10年目、あっという間に時間は過ぎていきました。新人の頃から勤め先は変わらず、部署もずっと同じところ。
新人の頃は同じ部署に配属された同期の中で最初に辞めるだろうってどの先輩からも思われていた位だったのに、なんだかんだで同じ部署に残って働いているのはあたし1人になっていました。
そんなに長く勤められるならそもそも看護師っていう仕事が好きなんでしょう?ってきっと聞かれると思うんですけど、答えはNoでもあり、Yesでもあります。
そもそも、あたし、看護師になるつもりなんてなかったから看護師という職業に全く憧れてなかった、っていうのが続けていられる要因の1つかな、と思います。母親が看護師でいつも愚痴ばかり聞いていたので、大変なもの、そういうものだって思っていた、という……
だからこそ、周りが看護に求める想いやこうなりたいっていう理想みたいなのに共感出来ないままでいます。3次救急で働きたいとか、自分の実力試したいとか、なにそれおいしいの?状態。
看護師って何だろうね?って常に思ってきました。
続けていられるのは、
知識と患者さんの状態や治療方針などが一致するときは楽しいなって思います。指示通りにドレーンの排液量をコントロール出来たときも密かに嬉しい瞬間。この辺は何だかマニアック的な自分に気付くのですが。
でももっと嬉しいのは、関わり方で患者さんのやる気を引き出せたとき。そして患者さんがどんどん元気になっていく姿を見るとき。ありがとうって、1つ1つに声をかけてもらえたとき。
そういうものがあるからこそ、日々どんなに忙しくても患者さんと話して、患者さんが抱えているものに焦点を当てて、一緒に取り組んでいこうと思えるんですよね。
今日の夜勤でも患者さんに何回もありがとうって声をかけてもらいました。何でそんなにありがとうって言ってくれるの?って聞いたら、「だって大変なお仕事でしょう?仕事でもこんな大変なこと中々出来ないよ」って言ってもらえて、じんわりしました。
沢山の学びがあります
脳外科という病棟で、命に向き合う現場に立っていることで学ぶこと、気付くことっていっぱいあります。
日々何かしらの問題をあたしたちは抱えていきているけれど、今が幸せだと気づけないこと、今が二度と来ないこと、今がよければそれでいいと真剣に自分や周りに向き合うことを放置してしまうことが取り返しのつかないような過ちになり得るし、それってすごく贅沢すぎる愚かさだな、とつい最近も感じることがありました。
生活習慣病が蔓延する今の世の中で、自分がいつ大きな病に倒れてもおかしくないのに、あたしたちはそれを来ないものと信じ込んで、大切なことに向き合わずにいる。いつかを夢見て、やりたくもないことを我慢してやっている。それって何だか悲しくなります。
自分の体が不調を訴え続けていたのに気づかないふりをして、病院に行かないまま。病院にかかっていても仕事で抜けられなくて自己中断。そうして大病を患ったとき、本当にそれで良かったのかな?幸せなのかな、それで喜んでくれる人はいるのかな、と考えることもあります。何より自分が傷つくことにならないかなってことが、心配になります。
でもね。脳梗塞になっても、脳出血になっても。だけど、生きている。それって凄いことなんだよ、ってあたしはすごく思うんです。患者さんからはもう終わりだ、もう生きていても仕方ないって言われることも多いんだけれど。でも命がなかったらもう本当に何も出来ないんです。
だからこそ、あなたにしか出来ないことがあるんじゃないかなって患者さんと接していて思います。
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沢山の人に光を当てたい
看護師の仕事って何だろうな、とよく思います。
その度に何となく答えを見つけるんですけど、今日、漸く自分にしっくりくる答えが見つかったんです。
看護師の仕事ってね、患者さんのやる気を引き出して、いかにその人らしく生きていけるのか、一緒に考えてその人が笑って社会復帰していくお手伝いをする、仕事なんです。
そのためにはまず自分を大切にすることから始めること、自分が楽しいことをやって生きていることで、患者さんもその光の中に巻き込めたらいいな、っていうのがあたしの考え。
いつか、は自分で行動しなければ来ないのです。
あなたのお仕事はどんな役目がありますか?
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